初代当主 中島文治により明治三九年に創業。
二代目 中島勇治にて合資会社中勇商店を設立。
しかし昭和十六年頃、時代は戦争に突入、
米不足や二代目の急逝もあり、
一時廃業に追い込まれ酒造業を離れました。
後継の三代目当主 信一郎はまだ16歳でした。
親権者付の代表社員となり、男子4人の弟がいたが、
家督・親代わりとして生活を支えねばならず、
進学の夢を断念、病気のため兵役を免れ、
一時、東北大学航空工学科の助手として勤務していたが
戦争も激しさを増し、仙台空襲直前に帰家、
命を免れました。
終戦後は酒の小売業や仙台名物「最中」の皮焼きの下請け、
冷菓(アイスキャンディー)の製造と食い繋ぎ、昭和32年、
捨て切れなかった「酒造り復活」の夢を実現する時期が来ました。
ですが既に「蔵」は無く、ゼロからの再出発でした。
弟の信二郎(販売担当)、信三(製造担当)と共に苦労の末、
何とか製造仮免許を取得し、
「鳴瀬川」の銘柄で営業再開しましたが、
価格競争等に阻まれたり、
味わいは淡麗辛口を目指しましたが、
当時の地元の嗜好もあり、容易には受け入れられませんでした。
やがて販売努力もあり、
徐々に支持層を増やしていきましたが、
時代は洋酒全盛に入った頃で、造れば売れる時代は過ぎ、
製造担当の信三は洋酒のように
日本酒もオンザロックで飲めないだろうかと思案、
新製品の開発に取り掛かかりました。
昭和五〇年頃、趣味の登山仲間の登はん祝いにと
試作品の「鳴瀬川原酒」を山頂に持参し、
雲海の望みながら飲んだところ、
同行していた画家・登山家の先生がその味と香りに驚き絶賛。
まさに「天の上で夢か幻を見ているかのような味わいだ」
との一言から「天上夢幻」と命名、
以後三〇年に及ぶベストセラー酒の誕生の瞬間でした。
四代目 信也は東京の酒問屋で流通の修行と
国税庁醸造試験所で製造研修後、27歳で蔵入り、
四〇歳の時に先代逝去に伴い当主就任。
時代の流れで20年の間、純米酒、純米吟醸、
純米大吟醸のアイテムを増やし、
現在では当蔵で製造している酒の
約9割が特定名称酒になります。
また、平成15年より開催している「蔵開き」では
毎年600名近いお客様にご来場いただき、
多くの地元の愛酒家や流通に携わる方々の
ご支援により支えられていることに感謝いたします。
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